糟糠の妻とは
貧しいころより連れ添い苦楽をともにした妻のこと。
糟糠:糟(かす=酒粕)と糠(ぬか)。あるいはそれらを材料にしたような質素な食事のこと。
由来
後漢書「宋弘伝」から。
宋弘は後漢、光武帝時代に大司空※という地位にいた。※三公のひとつ。罪人の管理と治水などの土木工事を司る。えらい。
この時、光武帝の姉が夫を亡くし未亡人となった。良い再婚相手を探してやろうと朝廷の官吏について聞いてみると、彼女は宋弘は立派な人物であると褒め称えた。
そこで光武帝は本人を呼び出し、「今の地位に見合った妻に変えてはどうか」と勧めたところ「苦労を共にした妻を堂から下してはならないと聞いたことがあります」と間接的に断られてしまった。
臣聞貧賤之知不可忘,糟糠之妻不下堂。
私は、貧しい時の友達は忘れてはならない、ともに苦労した妻は堂から下してはならないと聞いています。
下堂:座敷から下げる=正妻の地位から下ろす
日本の糟糠の妻
明智光秀が織田信長に仕える前、朝倉義景に仕えていたころ、連歌会の主催となり酒宴の準備をしなくてはならなくなった。しかし、生活は苦しく準備に苦労していたところ、煕子が髪を売ってお金を工面したという。
髪を売った妻の話
アメリカの小説家オー・ヘンリーの代表作のひとつである短編小説。
夫は父の形見である金の懐中時計を質に入れ、妻へのクリスマスプレゼントとしてべっこうの櫛を買った。
しかし、妻は美しい長髪を売って、懐中時計につけるプラチナの鎖を買った。
櫛で梳かすための髪、鎖をつけるはずの懐中時計。どちらもなくなり悲しい行き違いになってしまったが、二人は「思いやり」というプレゼントを受け取ることができた。